30周年元代表世話人回想録(麻殖生)

前任の喜多利之氏は平成3年卒業であるが、私は昭和58年卒。8年も遡るのは異例の高齢化。加えて私は入会から10年間幽霊会員で内部事情に疎いので代表就任は躊躇した。
ところが当時、世話人幹部の年令にエア・ポケットのような空白があり偶々有力な候補者がいなかったこと、元代表の池田吉孝氏が後見として副代表世話人に就いていただけることで腹をくくった。
 創立25年以上を経て当会は会員数の停滞と行事参加率の低下に決め手を欠いていた。私は、経済の首都圏集中化で難しくなった会員数の増加や組織の改編を狙うより、世話人の若返りを通じて行事の活性化に取り組むべきだと考えた。
 まずは各部のリーダーの若返りについては、情報部会を除く各部のリーダーは平成の卒業生となった。昭和卒で残った情報部の佃リーダーも権限を平成卒のサブリーダーに移譲する形でご協力いただいた。初めての部門でリーダーになった永田元昭(月例会、平成11年卒)、石邊公章(勉強会。同8年卒)、鍵田良成(交流会、同22年卒)の三氏には感謝している。
また新入会員向けにオリエンテーションを開催することにした。これは行事に初めて参加するときの心理的なハードルを少しでも取り除こうという趣旨で、私が幽霊会員から復帰するときの感想をヒントに考案したものだ。
1年目の秋には台湾研修旅行。久しぶりの訪台ということで台湾三田会との交流もいい思い出だ。台湾の経済力の強さに圧倒された。
しかし2019年の冬から世界を覆ったのがいわゆる新型コロナ(covid-19)の世界的流行であった。教科書でしか知らなかった「パンデミック」が現実に出現するとは想定外であった。
2020年1月の神戸慶應倶楽部との合同新年会を最後に、感染回避のため月例会や勉強会の開催が困難になった。同年4月の定時総会でさえ従来のホテルの大宴会場ではなく、人数制限をして西梅田の貸会議室で食事は折詰寿司とビールという質素な形で開催せざるを得なかった。
この年から事務局リーダーが嶋田謙吉氏から松本正文氏に交代した。名事務局長と言われる初代の佃氏から引き継いだ嶋田氏と、激務を承知で引き継いだ松本氏、並びにコンビを組む嶋津貴浩氏の勇気を称えたい。
新年度に入ってもコロナの感染力は猛威を振るい月例化や勉強会等の行事、KKDW若手会や女子会等他校との交流も含めて中止や延期が相次ぐなど手探りの運営になった。
そのうち大勢が一か所に集まらず適度の距離を取っていれば開催可能というガイドラインができ、一方でオンライン会議ソフトの「ZOOM」の普及で行事は開催可能となった。
しかし慣れない手続きに参加者は少なく、この間の行事は手間の割に成果の上がらぬ結果であった。
結局、私の任期中に新型コロナは収束しなかった。行事が十分開催できなかったことで次年度の世話人への細かいノウ・ハウ継承に支障を来した点は悔いが残る。
第14代 代表世話人 麻殖生光弘 経済昭和58年卒
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