第7代 代表世話人 芦原直哉氏(S50・経) 平成17年4月~平成19年3月

平成17年の春先、昭和50年同期卒の永山前代表から突然に代表世話人を引き受けて欲しいとの依頼があった。世話人の若返りを図るべく彼と一緒に副代表世話人を降板する心づもりであったので、まさに青天の霹靂であった。固辞したものの、結局7代目の代表世話人を務めさせていただくことになった。

代表世話人として本会に大きな貢献をすることはできず反省しているが、就任にあたってこれだけはやろうということが二つあった。一つは次の代表を早々に決めることである。三田会は永遠に続く駅伝のようなものである。自分の次に誰にバトンを渡すのか、次の走者を決めて十分な準備運動をしていただきスムースかつ力強く次に加速できる体制をつくることが必要であるとの考えであった。これはコンサルタントとして企業経営者にいつもアドバイスをしていることでもある。


東西合同ミーティング 平成18年9月

早速、6年後輩である池田吉孝君に副代表世話人に就任していただき、副代表世話人の中では最年少ではあったが次のバトンタッチ者であることを内外に公言した。その後彼が代表として会を盛り上げて頂いたことは衆知の通りである。これが私の少ない功績だと思っている。

もう一つは、活動の本業回帰である。関西不動産三田会は多くのイベントを開催しその参加者も多いことから、三田会の中でも最も活発な活動をしているという評価を得ていた。一方で不動産の三田会としての活動は本家(東京)と比べて足下にも及ばなかったのが実情であった。先輩諸氏からもその点につき苦言が呈されることも少なくはなかった。
本業回帰のための施策として例会や勉強会のテーマはできるだけ不動産ビジネスに関連するものとし、講師もそれに沿った人選を行った。街づくりなどの不動産関係のテーマは基より、不動産の証券化が進んでいた時代でもあり証券に関するテーマの勉強もかなりの回数行った。これらの施策は当時月例会担当リーダーお願いしていた喜多村君のリーダーシップによるところが大きかった。彼が池田君からバトンを受けて9代目の代表世話人として本会を更に盛り上げてくれたことを誇りに思っている。

台湾三田会、香港三田会との交流も思い出深いものであった。どちらも20名以上の参加を得て、海外の三田会のネットワークを築くとともに現地の不動産事情について多くの知識や情報を修得することができた。
関西不動産三田会は塾員の高い能力・見識と連帯の強さで今も発展成長し続けている。誠に嬉しい限りである。今後もしっかりと若い世代にバトンを繋いで、それぞれの時代の塾員の英知を結集し未来永劫発展し続けることを祈念している。


台湾研修旅行 平成17年6月


ボウリング大会 平成17年11月

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